株式会社原田

NO.1洋菓子メーカーを目指して、“おいしい・感動”を発信していく。

設立 昭和17年(1942)(明治34年創業)
代表者 原田 義人
所在地 高崎市新町1207
資本金 1,000万円
従業員数 950名
TEL 0274-40-3331
FAX 0274-40-3341
HP http://www.gateaufesta-harada.com
【経営革新計画のテーマ】

ラスク製造自動化ラインの導入と商品衛生管理

期間:平成14年2月~19年1月

従業員数18名から、950名の企業へ。

 18から950。これは株式会社原田の従業員数の変化を表した数字だ。経営革新計画がスタートした平成14年、同社の従業員は18人だった。1年後には45人、2年後には88人。そして現在は、なんと950人に。わずか14年で街の小さな洋菓子店は、東京はもちろん全国にファンを持つ、大人気菓子メーカーへと成長を遂げた。そのきっかけとなったのが「ガトーラスク」だ。
 平成14年、同社は、「ラスク製造自動化ラインの導入と商品衛生管理」をテーマに、5年間にわたる経営革新計画をスタートさせた。当時、同社は和洋菓子のほか学校給食用のパンを生産しており、ラスクはその工場の余剰設備を使い生産していた。ラスクが順調に売り上げを伸ばす一方で、既存の工場設備では限界に達し、商品不足の慢性化が生じるようになった。「量産化できる工場を建てなければならないという局面を迎えていた。でも、一体、どうやって融資を取り付けたらいいのか、四苦八苦する日々が続いていました」と話すのは、原田節子専務。そんなとき商工会の紹介で知ったのが、経営革新計画だった。同社は経営革新計画を策定し、機械メーカーと独自開発したラスク自動化ラインを導入。生産性と品質の向上、コスト削減を図った。

原田義人社長と節子専務 独自の生産ラインがおいしいラスクを生む
(写真上)原田義人社長と節子専務
(写真下)独自の生産ラインがおいしいラスクを生む
経営革新計画が目標達成の原動力に。

 「融資を受けることができたのはもちろんですが、漠然と思い描いていたことを経営革新計画という書面にしたことは、非常に大きな意味がありました」と話す節子専務。オフィシャルに交わした約束事が、自分の意識をより強く目標へ向けさせてくれたという。
 ラスク誕生の陰にあるのは、同社の並々ならぬ決意だ。地方経済の枠を超え、マーケットを全国に広げることこそ生き残る道と考えた同社。その勝負の切り札にしたのが、日本一おいしいラスクを作るという強い気持ちで開発した「グーテ・デ・ロワ(王様のおやつ)」だった。素材にこだわり、おいしさを追求したのはもちろんだが、パッケージデザインやコンセプトなど商品の付加価値にも力を注いだ。節子専務は、「お客様の期待を満たすのは当たり前。私たちが目指しているのは、その期待を超えることで、それが感動を与えることだと考えています」と話す。

原田の代名詞といえる「ガトーラスク グーテ・デ・ロワ」 スタッフの真心こもったサービスも同社の魅力 焼いておいしい絹厚揚げ
(写真上)原田の代名詞といえる「ガトーラスク グーテ・デ・ロワ」
(写真中)スタッフの真心こもったサービスも同社の魅力
(写真下)シャトー・デュ・ボヌールの店内
新工場の名は「創造の館」。

 その後、同社は飛躍的な成長を遂げる。平成15年には前橋、高崎、藤岡に直営店、16年には店舗棟シャトー・デュ・ボヌール(幸福の館)、17年からは県外の名だたる百貨店内に直営店を次々とオープンさせた。20年には、最新設備を導入した工場を併設する本社シャトー・デュ・エスポワール(希望の館)も完成。その後も、関西や名古屋、九州にまで直営店が広がっている。
 そして、平成25年春、高崎新工場が稼働した。物流拠点という役割も担う新工場では、品質管理や商品開発の強化を図っていくという。そんな願いを込めて、新工場はシャトー・ドゥ・クレアシオン(創造の館)と名付けられた。「新しい感動を発信していくことこそ、次の一歩になる」と同社。創造の館から、新たな感動を呼ぶ新商品が誕生する日も近い。

シャトー・デュ・エスポワールのメインロビーや多目的ホールは、芸術文化を発信する場として活用されている シャトー・デュ・エスポワールのメインロビーや多目的ホールは、芸術文化を発信する場として活用されている 最新鋭の設備を導入した高崎新工場

(写真上・中)シャトー・デュ・エスポワールのメインロビーや多目的ホールは、芸術文化を発信する場として活用されている
(写真下)最新鋭の設備を導入した高崎新工場

取材こぼれ話

ラスクは、スライスしたフランスパンにバターを塗り、砂糖を振りかけ焼き上げるシンプルな洋菓子だ。しかし、シンプルだからこそ、均質なものを量産するのはとても難しいという。同社がいち早く独自のラスクを量産する生産ラインを手に入れることができたのは、工業大学出身で機械に精通していた原田義人社長の尽力が大きいとのこと。「社長と専務は、我が社の両輪なのですよ」と話す加藤達彦さん(経理部参事)の言葉が印象的だった。

取材記者の目

実は今回が2度目の取材。当時は全国区に知られる洋菓子メーカーになるとは思いもよりませんでした。10年前も今も、節子専務の視線の先には、“全国区の菓子メーカーになる”ことがあったことに、とても感慨深いものがありました。

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